めっちという人間


・自己紹介・

めっちこと上野目泰之と申します。

「めっち」という名前はTwitterでの名前なのでもしもTwitterで見かけたことがある方はこちらのほうが呼びやすいかもしれませんね。

今日はそんな「めっち」こと上野目泰之の自己紹介をしていきます。

普段はオペラや演奏会などの演奏活動

 

そしてDMMオンラインサロンのサロンオーナー
声楽科学研究所

 

 

そして、合唱団指導者。

合唱団指導
・アンサンブル型音響音声実験団体テルプシ・コロディア
・学習型合唱団デメテル・コロディア
・東京電機大学グリークラブ
・文教大学合唱団てくてく
・銀鈴会所属すずらん会

 

そして、歌唱音声の研究をしています。

オンラインサロンや歌唱研究は声楽家でも稀有な存在として言われていますが、どんな研究をしているかについては別記します。

 

・経歴・

幼少期から音楽教室に通い、児童声楽、ピアノ、児童合唱を学んできました。
その音楽教室のイベントで海外に親善大使として演奏旅行をしたり慰問コンサートや、テレビに出演したりCD等の収録を行っていました。

自身の生活に支障が出ていなかった分、ここまではある意味真っ当な音楽生活だったと記憶しています。

東邦音楽大学附属東邦中学校ピアノ科入学

正式に音楽を学び始めたのは中学入学頃からでした。
東邦音楽大学附属東邦中学校にピアノ科で入学。

音楽を専門として唯一の音楽科中学校に入学しました。
このころから僕の人生は音楽以外の選択肢を切り捨て「音楽家」として生きることを運命づけられてきました。

その時副科で専攻していたのがサキソフォン。
よくジャズとか吹奏楽で見かけるかっちょいいやつです。
そのサックスでも様々な演奏会に出演しました。
CDの収録やジャズやビッグバンドの公演にも何度も出るようになり、高校では転科しサキソフォン専攻に。

東邦音楽大学附属東邦高等学校サキソフォン専攻入学

破天荒な毎日を送りながら音楽と楽器とに入り浸り、すでに僕の生活環境は音楽沼の底にありました。
きっとこのまま大学に進むのだろうと思っていた矢先、長い長い変声期が終わりを告げました。

変声期終了

実はかねてより声楽を専攻したいと思っていたのですが、悲しいことに僕の変声期は恐ろしく長く、その期間は驚くほど声が出なかったのです。

12歳から始まった変声期は実に5年間に渡って僕の選択肢から声楽を隠してしまっていたのです。

声が安定して出るようになったころ、僕はすでにかつての美しいボーイソプラノの声は見る影もなく、恐ろしく低いおっさん声(当時から父つぁん坊やのような風体だったのですが)になっていました。

とはいえ、長らく夢見ていた声楽を再開する兆しが見えたことが嬉しくて、声楽科への転科を希望したものの、学校からの返答はNO。

ならば仕方ないともともと幼少期に通っていた音楽教室のバリトンの先生に師事することに。
いざレッスンで声を出すと驚いたことに僕の声は「バス」という声楽家の中でも特に少ない声種(パート)であり、くいっぱぐれることは無いと太鼓判を押されました(後にそこまで世界は楽じゃないと気が付く)

そんなこんなで、高校ではサキソフォン専攻、外部では声楽専攻という二足の草鞋を履きつつ音楽沼を邁進していたところに、僕の鼻を高くする出来事が起きました。

それがコンクールです。

コンクール三昧と藝大

高校生のコンクールはある意味学校の制限もなく自由に受けられるものでした。
高校3年の夏、僕は日本全国で開催されるコンクールを片っ端から調べ、計5つのコンクールに出場しました。

その中には国際コンクールも含まれていたのですが、
国際コンクールでは2位を受賞するなど、全て入選以上の結果を残しました。

「サキソフォン専攻なのにこんなに賞取ってしまった!!」

などと浮かれている間に、大学受験の時期になります。
鼻高々で意気揚々と受験するものの、あまりにも勉強していないせいで3次落選。

とはいえ順調にプライドから何からすくすく育った僕は「藝大以外ありえない!」という謎の信念のもと浪人となることを決意。

そして、謎のプライドから「浪人はさすがに無い。留学だ!」
と、さっそく学歴ロンダリングを決行し、オーストリア・ウィーンにある、音楽大学に留学。

遊学なのか留学なのかいまいち判断が難しいラインで勉強し帰国。
当然、留学したことへの自信からか、勉強もせず再受験。失敗。

今考えると、もしタイムマシンがあるならば襟首掴んでぶん殴りたい衝動に駆られます。
あの時のどや顔は我ながら腹が立つものです。

そんなこんなでプライドにヒビを入れながら東京音楽大学声楽科演奏家コースに入学しました。

東京音楽大学声楽科演奏家コース入学

ここら辺からはいかにも声楽家なルートを歩み始めます。
学校にはいるものの、ほぼ毎日稽古、そして本番の連続です。

学生で、しかも希少なバスという事もあり、良くも悪くも使っていただくことが多かったのです。

そんな生活をしていれば落単と再試の連続でしたが、平均年間公演数150公演という経験を経て、半年遅れで卒業しました。

音声についての疑問

音声について疑問を持ったのは大学生のころ。
自分の声がどうやって出ているのか、どうやったらいい声になるのかについて異常に気になった時期から話は始まります。

人間の身体はどんなに頑張っても物理構造の壁を突破することはありません。それゆえに、身体の機能を熟知すれば最強ではないか!
という、限りなく安直な発想からスタートしました。

当時、歌唱音声についての書籍は多くなく、手当たり次第に知識を蓄えていきました。

僕の周りは「知識なんて身につけても歌の弊害になるだけだよ」と言うばかり。
知識より感覚重視のクラシック歌唱の中ではある意味当然の意見ではありました。

普通はここであきらめたり、「やっぱり感覚的にやるか…。」となったでしょう。
ですが、僕自身の疑問が解消できないモヤモヤに勝てず、医学書、解剖書を始め、音声学や流体力学などの勉強を始めました。

人間の筋構造、声帯の構造、そして、脳の機能。

すると、ある一つの真理にたどり着きました。
それが現在、僕自身が教えている理論ベースのレッスンの基礎となっています。

 

そこから数年の時が立ち、めっちという人間が生まれました。

歌唱を徹底的に理詰めで処理する人間が生まれたのです。

今回は自己紹介だというのに長くなってしまったので、ひとまずこの辺にします。
Twitterだと書ききれないこともいっぱいあるので、ブログベースだと話しやすいですね笑

では、また次回!