アーティストか、クリエイターか


芸術という概念

「芸術とは崇高で甘美で心震えるものである」

物心がついたころから音楽に触れてきた僕は、そんな事を言われ育って来たし、多くの芸術家を名乗る大人たちのそんな言葉に疑いを持つことは無かった。

なぜって?子供は与えられたものしか手にできないのだ。

幼少期から舞台に上がり、演奏活動を行なってきた僕は、芸術とは崇高なものだと信じて疑わなかったし、周りもきっとそう信じていた。

もしかしたら、今だってそうだ。

 

人は芸術という概念に囚われているのだ。

そして、自分でハードルを上げた概念によって自らの肯定感を打ち砕いてきた。

「こうでなくてはならない。」

「芸術とはこういうものである。」

それは一種の思考停止でもあり、自己の決めた芸術以外は一生涯その身に降りてくることは無いだろう。

 

では、芸術とはどのような物か?

自分にとっての芸術とは?

そう考え始めると意外な部分に綻びが見えてくる。

 

アーティストかクリエイターか

「多くの自称芸術家はクリエイターである。」

これは僕が常に考えていることで、異論は当然認める。

だが、多くの芸術家がクリエイターとして生きていることに違いは無い。

 

クリエイターもアーティストも、日本人の耳にはどちらも心地よい物だとは思う。

でも、根本的に違うところがある。

それは「どのような働き方をするか。」

 

クリエイターは「クライアントやエージェントから依頼された物を創造し、提供する。」

アーティストは「個々人の創造した者を大衆やクライアントに向け提供する。」

 

創造と提供のプロセスが少し違うのだ。

クリエイターはどちらかというと受託者なのだ。

 

決して、どちらが悪いという訳ではない。

クリエイターはその作業に無駄がない。逆に、目を付けられなかったアーティストは作業が無駄に終わる可能性も十二分に孕んでいる。

しかし、この違いを理解していないと、「夢を追い続ける」という言葉で人生を終わらせてしまう可能性さえあるのだ。

 

新しい時代の芸術での生き方

 

クリエイターかアーティストか。

僕は決してどちらか片方になるべきではないと考えている。

それゆえに今一度日本語の不便さと意訳の壁に苛まれるわけだけれど、

本当のところ、どちらでもある必要があるわけだ。

 

「どちらにもなる?そんな無茶な。」と思うかもしれないが、時代の流れを読めばそう難しい事でもないのだ。

 

現代社会はマイノリティー空間を作りやすい。

環境構築が容易になってきている。

そして、その規模の拡大の手段も多様に存在する。

実際、近代化されインターネットによって遠くに住む人とも気軽にやり取りが可能になった。

手紙を出せば3日かかるような時代ではないのだ。

一瞬にして必要な問い合わせや連絡を行うことができる。

だが、それは、世界が広まったわけではなく、人との相対距離が縮んだだけなのだ。

1度に交流できる人は限られている。

もし、世界が広がったなら10人から同時に電話が来て、その受け答えだけで、10人分の電話時間以上の時間を取られてしまうだろう。

 

だが、その環境さえも優位に扱えるのがSNSだ。

僕は昨年の1月からツイッターで宣伝や自分のアウトプットを行っている。

本来であれば、徒歩15分圏内の友人に話すようなレベルの内容をインターネット上で公開することによって数千人、多い時には数万人規模の人々の目に触れることになる。

つまり、情報発信にレバレッジをかけたのだ。

SNSを利用することによって自分の存在を広めるという行為にレバレッジをかけることができる。

ZOZOの田端氏が、フォロワー1000人もいなければ云々というのは、こういう意味合いもあるのだろうと推測している。

 

「だれも分かってくれない、自分の事を知ってくれない!」なんていうのは今の時代お門違いなのだ。

 

では、ブログは?というと、

僕の中の認識では公開制タイムカプセルのようなものだ。

誰でもその時点でのその人間の思考や認識を読み取ることができる。

自宅からエジプトの壁画を見るような感覚だと思ってもらって間違いは無いと思う。

いつでもその人の思考を読み返すことができ、もっと身近に触れることができるのだ。

 

アーティスト&クリエイター

 

アーティストは自身の作ったものを発信し、多くの人の目に触れるようにする。

そして、クリエイターはポートフォリオを確立して、受託を目指す。

これらを可能にするには、つまるところ、自分の環境を作らなくてはならないのだ。

この環境構築はどちらも苦労するものだが、

両立にかける労力は、片方を作り上げるのとさして変わらない。

 

声楽家の多くはSNSを演奏会の宣伝と事後報告のみを扱っている。

僕が言いたいのは、「それで本当に行きたいと思えるのか?」というところだ。

これは自戒のためにも言いたいのだが、

クリエイターでもアーティストでも無い投稿がFacebookを埋め尽くすことさえある。

 

音楽業界の衰退?いやいや。

コンテンツ側が衰退しているだけだよ。

 

既存のプラットフォームを扱うならば、その効果を十二分に振り回し、自分のテリトリーを作らなくてはならないのだ。

だからこそ、「#終演」「#打ち上げなう」などと言って酔いどれの写真を上げるために使っているSNSは本当にそれでよいのか?と問い続けなければならない。

人と人の距離が近づいた現代だからこそ、今一度発信力というものを見直す必要があるのだ。

 

 

…このまま書き続けると長くなりそうなのでこの辺で筆を置きます。

筆を置くという表現は現代にはミスマッチではあるものの、この表現に込められた動作の多様性に心擽られる時がある。

 

…あぁ、また長くなってしまう。とりあえずこの辺で。